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地域分権と何が関係するの?(3)

「小学校設立年月日」

八尾市は1948(昭和23)年に発足

今から72年以上前に、八尾町、龍華町、久宝寺村、大正村、西郡村が合併し、八尾市が発足しました。

八尾市域は拡張され、1955(昭和30)年には、当時の河内市の市域であった福万寺・上之島地区が、八尾市に編入しました。同年、南高安町・高安村・曙川村が八尾市に合併しました。1957(昭和32)年には、志紀町が八尾市に合併しました。1964(昭和39)年には、松原市若林地区の一部が、八尾市に編入され、現在の八尾市になりました。

上記町村名がある小学校の設立年月日(編入した地区を除く)

大正小学校が1922(大正11)年の設立以外は、全て明治時代に小学校が設立されています。

注釈も参考にしていただくと、現在の小学校の前身である小学校も含めるとほぼ1972(明治5)年から1975(明治8)年に設立されています。

1972(明治5)年は、文明開化と歴史でも習った時代ですね。

江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を行った「大政奉還」が1967(慶応3)年です。江戸時代が終わった5年~8年の間に八尾市内で小学校が設立されます。

住民自治もあったからこそ出来た小学校

八尾市内の小学校設立は、大阪市内の中心地でも小学校が設立した時期と同時期です【例示:大阪市旧南区にあった大宝小学校が明治5年、道仁小学校と芦池小学校が明治6年に設立】。また、大阪市内の中心地の話ですが、地域の方々が土地を出し合い、資金を出し合い、小学校を設立したと聞いたことがあります。八尾市内も同様だったのではないかと思われます。

八尾市では戦後の宅地開発・人口増加等により、明治時代・大正時代に設立した小学校から分離され、今日の小学校・小学校区に至ります。

この時代の小学校の設立は、明治5年の「学制(教育法令)」により小学校等の設置が計画されたのも要因ですが、住民の自治があった所には、都会・郊外と関係なく小学校が設立されており、明治時代の住民自治が高かった証だと思います。

その自治の礎が今日の「地区自治振興委員会」「地区福祉委員会」「校区まちづくり協議会」など各種地域活動へと受け継がれてきたと思います。

その息吹を感じながら、特に地域自治を含めた地域分権の推進役である「校区まちづくり協議会」別で小学校の設立をご覧いただければと思い掲載をいたしました。

また、中学校区や地域拠点施設である出張所等もあわせてご確認いただきましたら、幸いです。小学校・校区まちづくり協議会・地域拠点施設の地域のつながりがさらに深まる一助になればと思います。

「地域拠点施設別 中学校区及び小学校設立年月日 一覧【参考】(PDF 202KB)